2019年春に40年間、居た場所からお店お引越しします。
40年と言えばとても長い年月ですね。想い出がいっぱいです。
もちろん母との思い出もいっぱいです。
↑当時の母と私若いわーー(^^)
引越先は本当に隣で新しく建てているスーパーに移ります。
私がまだ10代の頃から、ずっと居ました。当時は十条サービスセンターと言う名前で
十條製紙(現・日本製紙)が居住する従業員への福利厚生の一環として、
創業したのが始まりでした。
当時、噴水がお店の中にあり、イタリアのトレビの泉の水を入れたとかで
硬貨をそこに入れると願いが叶うって噂がありましたね。
今思えば、沢山のお金が底にあったなぁ〜 (笑)
まだ母も元気でいつも2人でバスに乗り釧路駅で乗り継いで通っていました。
私が車の免許を取ってからは、車になりましたが、バスで通っていた頃
懐かしい想い出ですね。その頃は釧路バスではなく東邦交通でした。
当時は 貴金属とアクセサリーのお店で貴金属は、まだ物品税があって
37,500円以上の品は 売上の15%を税金で納める仕組みでした。
今で言う消費税ですね。
母は華がある人でお客様は母の身につけているアクセサリーを買っていました。
今 考えると身に着けているアクセサリーを販売するなんて、すごい事ですよね。(笑)
仕入れは私がして、 販売するのが母、そんなコンビでした。
初めて東京に仕入れに行ったのは 20歳前、父と2人で行きました。
東京のTOC(東京卸売りセンター)に行き、2回目からは 一人で行きました。
何も知らない私は、東京の高いビルばかり見て首が痛くなったりしましたね。(笑)
あれから40年近く仕入れに東京へ 行き続けています。
その間、子供も4人産みました。
母が 脳出血で倒れたのは私が24歳母は47歳でした。
24歳の小娘が 母の跡を継ぐ。
直ぐ、あのお店はダメになるよ。なんて噂もありましたね〜。
でも、ショッピングセンターの中だから、お客様は沢山居て
恵まれていました。母の人柄もたくさんのお客様を呼びました。
ショッピングセンターの中では、5回位場所を移動して、
今の場所に落ち着いて20年近く経ちます。
今年の4月全てが新しくなります。
建設中のスーパーアークスです。
母は、もう居ない。
空の上から見ていてくれている。
どんな新しいお店になるのか?
私、欲張りだからたくさんの人に喜んで欲しい。
ですから、こだわりとか ジャンルとかはあまり気にしません。
やすらぎに来たら、「なんかワクワクするよね」
「可愛いモノあるよね 」「楽しいよね」って
今までもそんなお店にして来ました。
これからもね ワクワクして
可愛い 綺麗を提供していきたい。
そしてたくさんの人を笑顔いっぱいにしたいのです。
↑2月に行ってきた ギフトショー
↑プレゼントに 手書きのワイングラス
↑美味しいモノも売ってる ウチのお店
「寝たきりになってしまった母」
でも、おしゃれな服や靴履かせたい
そんな 人に喜んで貰える、
『プレゼントしたい介護シューズ 』を作り続けて行きます。
母が喜んで 褒めてくれると思う・・・